一杯のお茶の、
色を目で楽しみ、
香りを深く吸いこみ、
苦味、酸味、香ばしさ、を口の中でゆっくり確かめる。
ほんの数十秒だけれど、その数十秒はわたしと目の前のお茶だけが世界。
目の前の人が丹念に準備してくれた茶器やお菓子は、すべてが愛由来。
愛由来とは、愛に由来する言動のほかに、
意識が今にあること、も意味します。
絶え間なく今にあり続ける、のは難しいけれど
「今にある」瞬間をたくさん積み重ねていけばいい。
目の前の一杯のお茶と、じぶんの状態。
エネルギー哲学®︎入門講座では、
「私たちの言動の全ては愛由来と不安由来に分けることができる」
とお伝えしています。
その例え話に「目の前の一杯のお茶」が
よくでてきます。
まずは、その知識を「知る」こと。
そして、実際の行動で「わかる」を体験すること。
知っている、と、わかる、は全くちがうもの。
知っている、は頭の中にインプットされた知識。
わかる、はその知識がじぶんの「体感」を伴ってじぶんの一部となること。
わかろうとしなくても、
「わかる」瞬間は日常の中に突然訪れる。
昨日のお茶会では、「わかる」をまたひとつ体験させてもらったのでした。