わたし達の「核」は愛、なんだなぁ。
と不意に感じました。
愛ってなんだよ、ケッ。と思っていた頃もありましたが。
こんな、昔のわたしみたいに思っているひとも、もれなく核は愛です。
ただ、とても傷ついてしまい、その傷の痛みに耐えかねて感じることを閉ざしてしまった。
痛みを感じないように麻痺させたけれど、じぶんのなかの愛も、そのせいで感じられなくなってしまった。
じぶんのなかの愛の存在を感じることが出来なくて、
感じないものをどう表現していいかわからなくて疎外感を感じたり孤独に悩んだり自棄になったり諦めたり皮肉屋になったりでもそうすればそうするほど、苦しかった。
その苦しみから抜け出す方法は、じぶんの麻痺を解除してじぶんのこころを見つめること。感じること。
麻痺や投げやりを発動させずに、じぶんの傷や痛みをただ、見つめること。
そうすると、じぶんの核にある、だいじなものが朧げながらわかる時がくる。
「エネルギー哲学」って、そんなことを伝えています。