わたしたちは、一歩ずつしか進めない。棒高跳びの棒があるわけでもなくびゅーんと突然離れたところに一気に到達することは、で…
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わたしの哲学
BLOG
100で生きる、とは
誰かと比べるのではなく、誰かを目標にするのではなく、つねに、それが「今のじぶんの100」であるかどうかを意識する。じぶんに厳しく、というのとも…
わたしのこだわり
いま募集中の「エネルギー哲学®︎入門講座」、わたしは対面でのみの開催です。オンラインでやらないんですか?と聞かれます。…
誰かの幸せを考えるとき
あなたが、誰かの幸せを、誰かの喜びを思いながら動くとき。きっと同じだけの祝福が、あなたに降り注いでいる。ニーチェの有名なことば、【あなたが長く…
期待と信頼
誰かの「期待」にこたえようとすると苦しい。誰かの期待、はじぶんの外側にあるから。じぶんの外側にあるものは、コントロールができない。 …
目の前の扉
目の前の扉を開け続けること。ひとつ開けたら、また目の前に次のとびら。それを開けたら、また次のとびら。いっぺんに2枚や3枚のとびらを開けることは…
なにを信じているか
なにを信じているか、というのは宗教や信念信条だけのことではなく、「明日、じぶんが何をするか」という卑近な出来事も。明日…
キャンバスに向き合うのが人生
人生は一枚の絵だ。生きている間は、ひとつのキャンバスをずっと使わなくてはいけないけれど、使う色はいつでも変えられる。…
厳しさと愛情
相手にとって耳が痛いであろうことを伝えるとき、そこに「愛情」があれば、それは「厳しさ」。愛情がないと、単に「怒…
被害者にも加害者にもならない
タイトルは、人間関係においてのこと。「あの人が悪い。わたしは被害者。」相手を悪者にするのは簡単だけれど、被害者と加害者、という…