なにを信じているか、
というのは宗教や信念信条だけのことではなく、
「明日、じぶんが何をするか」
という卑近な出来事も。
明日の午後、わたしは仕事をしているでしょう。
その後ちょっとお買い物をして、
夕ご飯を食べて、眠る。
でも、他の選択肢もある。
明日の午後少しだけ早退して、
沖縄行きの飛行機に飛びのって
夕方の東シナ海を眺めることも、できる。
不可能なことではないのに
おそらくそれをしないし、
その選択肢が頭の中にないのは
「明日仕事をして家に帰る」ということを
ナチュラルに信じているから。
当たり前のように信じていることって
疑うことすら難しい。
でも、
ふと疑問が浮かんだら、「当たり前」を
壊すチャンス。
わたしたちは、可能性を秘めている。
ルーティンに慣れすぎない。
なにかに、心が小さく震えて反応したら
それをそっと掬いとってみて。
わたしにはできない、なんて言わないで。
その先には、
仕事帰りに
スーパーマーケットに行くくらい簡単に
旅に出かけるじぶん、
が待っているかもしれないから。