昨夜の花火大会から考えていたこと、
それは
わたしは振動を感じるのが堪らなく好きだということ。
美しい花火の映像、でも音は無し
家の中で花火は見えない、でもその音は聞こえる
どちらがいいか、といえば断然後者なわけです。
「振動」
を
「体」
で
「感じる」
映画館のストレートな大音響
美術館の微かな風のゆらぎ
対面で聴く人の声。
須王の本講座を対面で受講した時も、そう。
終わったあとに余韻が消えないのは、
声という振動が、
波が、繰り返し寄せては返すから。
その波は気づかないうちに
大きなうねりになっていることもある。
受講の理由が
何かを学ぶため、でもいいけれど、
わたしのおすすめは
体のちからを抜いて、
目の前の振動に身を委ねてみること。
その先、それがどんな大きなうねりになるかは、
お楽しみです。








