「いま」に意識があることがすなわち
「愛由来」なわけですが、
「いま」に意識があるって
どんな瞬間だと思いますか?
たとえば・・・・
目の前のものに心うばわれているとき、
意識はどこにも行きようがありません。
衝撃的に美しい絵画や音楽や映画や舞台、
圧倒的な風景、
そのものとじぶんが一体になっているような、
じぶんという境界線が溶けていくような、
じぶんが透明になったような・・・
美しいものは心の潤いであり、
わたしたちは無意識にそれらを求めますが、
もしかしてその求める理由のひとつに
「意識が今にもどる」があるからかもしれません。
わたしたちは、無意識に愛由来になりたがっている。
そしてその手段をいつも探している。
瞑想や写経、なにかに没頭すること。
美しいものに衝撃をうけること。
偉大な自然に圧倒されること。
それと・・
わたしは、衝撃的に美味しいお寿司を
食べたとき、完全に意識が「今」でした。
そのとき話していた仕事の話は瞬時に宇宙の彼方に。
全身が味覚になったかのような、不思議な感覚。
ということは、世の「美食」を追求している方々も
そうとは知らずに「愛由来」を求めているのかもしれません、ね(^ ^)